ホワイトラブ
キッチンから振り返って、ヘンリーは窓の外にくぎづけになった。
二人ぶんのカップに注がれたコーヒーをこぼさないよう注意を払い、テーブルにそっと置く。そして窓に近づくと、ガラスに手をあてて外を覗き見た。
薄く曇った空から、はらはらと雪が舞いおちている。
もうそんな季節だったな。カレンダーの日付を確認してしみじみ思う。
そういえば昨日、テレビで「今朝は冷え込む」と言っていた気がする。ミルクの瓶を取り出しながら、昨夜のニュース番組でのレポーターの言葉を思い出す。暖かい室内にいることが多かったから気がつきにくかったが、もうそろそろ冬支度をしなければならない時期にさしかかっていた。
棚をあさり砂糖を探していると、先ほどからざあざあとせわしなく聞こえていた洗面所の水音がぴたりとやんだ。そちらへ体を伸ばして、ウォルター、と声をかける。今ならきっと聞こえているだろう。
「ちょっと来てごらん」
少しして、ズボンの裾とシャツの袖をまくり上げた格好のウォルターが洗面所から出てきた。
「風呂掃除終わったぞ、ヘンリー」
「ありがとう」
ヘンリーはおいで、と手招きをする。
「どうしたんだ」
「いいから」
「………?」
まくった袖をおろしながら、ウォルターは不思議そうに近寄ってくる。
「ほら、窓の外。見てごらん」
そう言って窓を指さす。促されてウォルターがそちらを見た途端、彼は弾かれたように窓に駆け寄った。
「…雪か!」
先ほどよりもいっそう降りの激しくなった雪は、深い霧がかかったように街を白く包み込んでいる。風がないのも相まって、まっすぐに落ちてくるそれはどこか神秘的な印象を受けた。
「ウォルター、裾、直さないのかい」
不格好にまくりあげられたままのズボンの裾を指して言うと、ウォルターはああそうだとあわてて直していた。そして再びガラスにへばりつくと、子どもみたいに目をきらきらと輝かせて降り積もる雪に魅入っていた。その彼のうしろから、ヘンリーも同じように外の景色をのぞき込む。
「しばらくは止みそうにないかな」
「本当かヘンリー」
「たぶんね」
ヘンリーはカウンターテーブルから椅子を引きずってくると、嬉々として空を見上げているウォルターのそばに置いてやる。
「ああ、ありがとう」
彼は椅子に座り、開いた足のあいだに両手をついてまた空を見上げはじめた。その格好がなんだかテディベアみたいで、ヘンリーは彼に気づかれないようにこっそりと笑った。
「………あ」
しまった。ヘンリーはつぶやいた。ウォルターも振り返って何事かと彼を見た。
「ごめん、コーヒー淹れたの忘れてた」
ヘンリーの視線の先、そこには湯気のたたなくなったコーヒー入りのカップがふたつ、テーブルの上にさみしく置かれていた。持ち上げると、もうそれはすっかりぬるくなってしまっていた。
「…淹れ直そうか」
申し訳なさそうにはにかんでヘンリーが言う。その腕をつかんで、ウォルターは彼の手からカップを奪った。
「いや、飲む。せっかくヘンリーが淹れてくれたのだから」
「ぬるいけどいいのかい?」
「私は構わない」
「ちなみにそれ、ブラックだけどいいのかい?」
「……それは困る」
互いに苦笑して、砂糖とミルクと、それからスプーンを手渡す。ミルクが溶けたコーヒーはどんどん色が白くなっていって、雪が混ざったみたいだとウォルターは思う。そしてカップを手に、また窓辺の椅子に腰をおろした。
「積もるだろうか」
「うーん、積もるのはまだ先じゃないかな」
ヘンリーがそう返すと、ウォルターは少し残念そうな顔をした。
「ヘンリー」
「なんだい」
「こっちに来て、一緒に見ないか」
「ああ、いいよ」
コーヒー片手に椅子のうしろに立って外をながめるが、ウォルターは違う、と頬をふくらませた。
「一緒に座るんだ」
「……えっ」
ぎょっとしてヘンリーは危うくカップを取り落としそうになる。
…いや、それって、もしかしなくても。
「さあ、私の膝に座るがいい」
彼はぽんぽんと自身の膝をたたいて鼻息荒く構えている。
(…まさかそうくるとは思ってなかったが)
「……わかったよ」
笑ったつもりが、少々ひきつってしまった。
(それでも、心の片隅で嬉しさに胸躍らせる自分がいることを私は知っている。照れと恥ずかしさも同時に)
おとなしく彼の膝に収まる。カップを持ったまま、空いた手で包むように抱きしめられて、腕を回すウォルターが嬉しそうにしているのが背中越しでもわかった。
「私がここにいて、君はちゃんと前が見えてるのかい?」
「ああ、見えている。はっきりと」
首に吐息がかかるほど密着される。ささやく声が耳を通って頭の奥でとろけながらやさしく響いた。
節くれだったその手にそっと手を重ねる。ヘンリーは恋に焦がれる少女のような淡い心もちにやんわりと目を細めた。
「雪、このまま止まなければいいのに」
カップの中の液体をじっと見つめてつぶやく。
雪が降り止んでしまったら、このひとときは終わりを告げてしまうのだろう。しかしそれはきっと私のエゴだ。 ヘンリーは自嘲する。
すると背中越しにふふ、と小さく笑う声が聞こえた。
「奇遇だなヘンリー。私もだ」
ウォルターも自嘲をにじませて言った。
人のぬくもりは、知ってしまえばとても離しがたいものになる。重ねた手に力を込めて握りしめると、抱きしめた腕がいっそう強くヘンリーを包んだ。
もう少しだけ、私たちのわがままを聞いていてほしい。
舞い散る雪と、薄く曇った空に向かってふたりはそう祈っていた。
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